五箇山和紙について
五箇山和紙の歴史五箇山和紙の原料五箇山和紙ができるまで

五箇山和紙の歴史

そもそも五箇山でいつ頃から紙漉きが始まったかは、定かではありません。 古くは藩政時代加賀百万石の領地で、五箇山和紙に関する古文書や記録文献が残っており、 トチやケヤキの大木をくり抜いた紙漉き舟や、楮剥皮用のたくり舟、楮煮用灰箱など、極めて原始的な道具が残っている点は、 ほとんど全国的にその例がありません。 したがって、奈良や京都から直接伝えられた和紙の技法が山村の人々によって独自の和紙文化に形成されたものと考察されます。 藩政時代の五箇山和紙は、天正十三年(1585年)頃は五箇山の産物である生糸とともに年貢として納められていました。 また、五箇山和紙は他に流出しないように塩硝(火薬)とともに藩の指定生産物となり、合掌造りの大家屋の家々では多くの 使用人を雇って、夏は塩硝や楮の栽培、冬は紙漉きをするといった工場的な形態で和紙を製造していました。 戦後、昭和二十五年(1950年)に伝統の五箇山和紙を残すべく「五箇紙協同組合」が、昭和四十三年(1968年)には 「東中江和紙生産組合」が結成され、全国的に生産地が次々と消滅するなかにあっても、伝統的な技術を守りながら、 江戸時代から受け継がれる古典和紙の製造を継承しました。 洋紙の普及により和紙の需要が減る中、昭和五十七年(1982年)には、和紙の新たな製品開発、後継者育成をはかり 「和紙の里」の前身となる「和紙工芸研究館」が設立されました。 昭和六十三年(1988年)、五箇山和紙は八尾町、朝日町で生産されている和紙とともに「越中和紙」として、 国の伝統的工芸品に指定され、その長い歴史と伝統、山里の自然が育んできた和紙文化として改めて評価されました。 現在、桂離宮の障子紙をはじめ宮内庁や国の重要文化財の補修用紙になくてはならない存在となっております。 また、ちぎり絵や様々な美術工芸品の素材や版画、絵画など芸術家からの特注品にもなっており、富山県内、地元南砺市に おいても、建築施設や祭り行事、学校の卒業証書、また一般のご家庭とあらゆる場面で生活に癒しを与えております。

当時の和紙づくりの様子
昭和31年11月 当時の和紙づくりの様子

五箇山和紙の原料

五箇山和紙の主な原料は、豊富な雪解け水から育まれる自家栽培の五箇山楮。
その皮から採れる繊細な繊維に多量のネリ(トロロアオイ)を混入して流し漉きをしており、
強靭かつ均一な地合構成を誇る 良質和紙の産地として歴史伝統を秘めながら今日に受け継がれてきました。
他にも用途に合わせ、三椏や雁皮といった樹の皮も原料として扱っております。

コウゾ

楮(コウゾ)

桑科の落葉低木樹。毎年春に株から芽が出て、秋には3〜4mほどにまで成長します。 繊維が長く、お互い絡み合う性質があるため、薄くても丈夫な紙となります。 また蒟蒻糊で揉んだ紙は、さらに強度を増し、皮革の様になります。

ミツマタ

三椏(ミツマタ)

ジンチョウゲ科の落葉低木樹。枝が三つに分岐しているところから、ミツマタと呼ばれています。 繊維は楮ほど長くはなく、細かな細工や文字を書く紙、印刷の紙として適しています。

ガンピ

雁皮(ガンピ)

ジンチョウゲ科の落葉低木樹。人工栽培は難しく、山に自生しているものを扱います。
やや半透明の光沢のある紙で、虫害の少ない紙として記録用紙や、
また銅版画の用紙として使用されます。

トロロアオイ

トロロアオイ

アオイ科の植物でオクラに似た花を咲かせます。この根っこから採れる粘液をネリと呼び、
紙を漉く際に混ぜます。
水に粘液性を持たせることにより、薄くて丈夫な紙を漉く事が可能となります。

楮の栽培

五箇山和紙ができるまで

五箇山和紙ができるまでの行程