五箇山和紙の里では、原料となる楮の栽培から、紙漉き、製品加工に至るまで、すべて一環して行なっています。
五箇山の厳しい自然環境で育った楮は繊維が強く、丈夫な和紙へと生まれ変わります。オリジナルの和紙を作れる「紙漉き」体験は、お子様から大人の方までお楽しみいただけます。

五箇山和紙の原料

五箇山和紙の主な原料は、豊富な雪解け水により育まれる自家栽培の五箇山楮。
楮の皮から採取される繊維に、トロロアオイから抽出した多量のネリを混ぜ入れて流し漉きをし、
強靭かつ均一な和紙ができあがります。
その質の良さから藩政時代は加賀藩への献上品となり、歴史と伝統を秘めながら今日まで受け継がれてきました。
他にも用途に合わせ、三椏や雁皮の樹皮、麻、木材パルプも原料として扱っております。

楮(コウゾ)

楮(7月頃)

桑科の落葉低木樹。五箇山和紙の里では約1ヘクタールの楮畑を所有し、毎年春から手入れを行い、3〜4mまで成長した楮を秋に収穫します。和紙の原料の中でも特に繊維が長く、お互い絡み合う性質があるため、薄くても丈夫な紙となります。寒暖差の大きい環境で育つ五箇山楮は、他の産地に比べて繊維が長いのが特徴です。

楮の原木と白皮

蒸しあがった楮は皮と芯に分けます。和紙の原料のとなるのは皮の部分で、芯の部分は「楮がら棒」にしたり、畑に戻します。

楮がら棒

蒸しあがって皮と芯に分けた後の芯の部分。昔は燃えやすいので、薪の焚き付けなどで利用されていました。
< >

楮の栽培

  • 5月初旬楮の芽
    雪解けの春、株から新しい芽が出てきます。
  • 5月下旬草とり
    株まわりの草むしりを行います。
  • 6月頃草むしり•間引き
    風通しを良くし、幹を太く育てるため草むしり、間引きを定期的に行います。
  • 7〜8月草刈り・芽かき
    1本の真っ直ぐな楮に育てるため枝にならないように芽かき作業を定期的に行います。
  • 11月頃刈り取り(収穫)
    葉っぱが落ちる晩秋、株元から一本一本刈り取りを行います。
  • 12月頃運搬
    原木を一定の長さに切り揃え、畑からトラックで運んできます。

楮(コウゾ)以外の原料

三椏(ミツマタ)

ジンチョウゲ科の落葉低木樹。枝が三つに分岐しているところから、ミツマタと呼ばれています。 繊維は楮ほど長くはなく、細かな細工や文字を書く紙、印刷の紙として適しています。

雁皮(ガンピ)

ジンチョウゲ科の落葉低木樹。人工栽培は難しく、山に自生しているものを扱います。
やや半透明の光沢のある紙で、虫害の少ない紙として記録用紙や、また銅版画の用紙として使用されます。

トロロアオイ(左) ネリ(右)

アオイ科の植物でオクラに似た花を咲かせます。この根っこから採れる粘液をネリと呼び、紙を漉く際に混ぜます。水に粘液性を持たせることにより、薄くて丈夫な紙を漉く事が可能となります。

五箇山和紙ができるまで

ここでは手漉き楮和紙の作業工程をご紹介します。
五箇山和紙の里では、手漉き和紙の他、障子紙などロール状に紙を漉く機械漉き和紙、
特注品や合わせガラス用の大判和紙も製作しています。

和紙を作った後はこんな加工方法があります。

  • 雪花染め
    「雪花(セッカ)模様」に染め上げる技法です。
    和紙を折り畳み、染料につけて染めていきます。
    一つ一つ表情が異なり、和紙ならではのにじみが
    特徴的です。
  • シルクスクリーン
    Tシャツなどの印刷でおなじみの技法です。
    メッシュ状の版からオリジナルのデザイン版を製作し、一枚一枚インクをのせてヘラで捺染していきます。色落ちもなく、パキッとしたデザイン表現に向いています。
  • 手揉み加工
    戦時中に生まれた和紙の強度をあげる技法です。
    蒟蒻糊を刷毛で塗り、手で揉み込むことで強度と風合いを増し、皮革の様になります。
    さらに縫製や糊貼り加工を施し軽さを活かした製品を多数製作しています。

五箇山和紙の歴史

そもそもいつ頃から五箇山で紙漉きが始まったのか、その起源は定かではありません。藩政時代にさかのぼるとこの地は加賀藩の領地で、五箇山和紙に関する古文書や記録文献が残っています。 トチやケヤキの大木をくり抜いた紙漉き舟や、楮剥皮用のたくり舟、楮煮用灰箱など、極めて原始的な道具が残っている産地は全国的にほとんど例がなく、奈良や京都から直接伝えられた和紙の技法が山村の人々によって独自の和紙文化に形成されたものと考察されます。

藩政時代の五箇山和紙は天正13(1585)年頃、生糸とともに年貢として納められていました。 また他地域へ流出しないよう、同じく五箇山で生産された火薬の元となる塩硝(えんしょう)とともに、五箇山和紙は加賀藩の指定生産物となりました。合掌造りの大家屋の家々では多くの 使用人を雇って、夏は塩硝や楮の栽培、冬は紙漉きをするといった工場的な形態で和紙を製造していたそうです。

戦後となる昭和25(1950)年、五箇山和紙を後年に残すべく「五箇紙協同組合」が、昭和43(1968)年には 「東中江和紙生産組合」が結成され、和紙の生産地が全国的に次々と消滅する中にあっても、伝統的な技術を守りながら江戸時代から受け継がれる、古典和紙の製造を継承しました。

洋紙の普及により和紙の需要が減る中、昭和57(1982)年には、和紙の新たな製品開発、後継者育成をはかり 「和紙の里」の前身となる「和紙工芸研究館」を設立。 昭和63(1988)年、五箇山和紙は富山県内の八尾町、朝日町で生産されている和紙とともに「越中和紙」として国の伝統的工芸品に指定され、その長い歴史と伝統、山里の自然が育んできた和紙文化として改めて評価されました。

現在、五箇山和紙は、桂離宮の障子紙をはじめ宮内庁や国の重要文化財の補修用紙になくてはならない存在となっております。 また、ちぎり絵や様々な美術工芸品の素材や版画、絵画など芸術家からの特注品にもなっており、富山県、地元南砺市においても、建築施設や祭り行事、市内小中学校の卒業証書、また一般のご家庭とあらゆる場面で生活に癒しを与えております。
  • 楮蒸しの桶
  • 楮の皮干し
  • 和紙の裁断